「あの人は昔からそうだから」――そう言い聞かせてきたはずなのに、最近の夫の行動は、私の心の奥底に静かに、しかし確実に、さざ波を立てていました。結婚前からの「人たらし」な彼の性格は、魅力の一つだったはず。誰とでもすぐに打ち解け、その場を明るくする才能は、私にとって誇りでもありました。でも、結婚して「落ち着いた」と信じていたその心に、最近は小さな影が差し込んでいるように感じてしまうのです。
LINEの返信が遅れること。以前はすぐに返してくれたのに、今は数時間、時には半日以上も既読がつかない。そして、増えた飲み会での朝帰り。「仕事が忙しい」「旧友との付き合いだ」――彼の言葉を信じたい、信じなければ、この関係は成り立たない。そう強く願う自分と、もう一人の自分が囁く「本当に?」という疑念の声。その声が、私の心を蝕んでいくようでした。
「まさか、そんなはずはない。彼は私を選んだのだから」と、何度も自分に言い聞かせます。しかし、心のどこかで彼の誰にでも優しい性格が、時に「境界線」を曖昧にしてしまうのではないかという不安が拭えません。彼の無邪気な笑顔が、なぜか私を孤独にする。その笑顔の向こうに、私だけが知らない「何か」があるのではないか。そんな想像が頭を巡り、夜中にふと目が覚めることも増えました。
眠れない夜、天井を見つめながら、「私が何か悪かったのだろうか?」「もっと魅力的な妻でいれば、こんな不安を感じずに済んだのだろうか?」と、自分を責める日々。鏡に映る自分の顔は、以前よりずっと疲れて見えました。笑顔の裏に隠しきれない疲弊と、どこか自信のない表情。これが、私が望んだ結婚生活だったのでしょうか?
この不安は、まるで水面に映る月を掴もうとするかのようでした。どんなに手を伸ばしても、月は掴めず、水面をかき乱すばかり。かき乱された水面は、月の姿をさらに歪ませ、私の心に映る現実もまた、不確かなものになっていきました。夫の行動を詮索すればするほど、彼の言葉の裏を探れば探るほど、私の心はざわめき、平穏は遠のいていくばかり。「もう、どうすればいいの?」「このまま、私はこの疑念に囚われたまま生きていくしかないの?」――そんな絶望感が、私を支配し始めていました。
でも、ある日気づいたのです。私が本当に掴むべきは、水面の月ではなく、自分自身の足元を固めることなのだと。外の波に怯えるのではなく、自分自身の船を強くし、どんな荒波にも耐えうる航海術を身につけること。彼の行動に一喜一憂するのではなく、自分の心の羅針盤は自分自身が握っていることを思い出すこと。
この不安は、私に「自分自身」と向き合う機会を与えてくれたのかもしれません。彼の行動を変えることはできないけれど、彼に抱く私の感情、そして私自身の心の平穏は、私自身で守り、育むことができるはず。誰かの優しさに依存するのではなく、自分自身の内側から湧き出る強さと自信を見つけ出す旅が、今、始まったばかりです。
